hikarimetal’s blog

基本的に自分のためだけにメモとして書いております。

日本の未来について

 日本の未来は、とっても暗いと思っております。しかし、それは、明治維新を起こした幕末の尊皇攘夷運動とかから、つまり、人々が、隣の藩では無く、隣に国というものがあって、自分達は、一つの国民であるという概念が生まれた時から、脈々と続いているのではないだろうか?と思っております。

 逆に、国民が不安ではなくて、将来を過信した瞬間に、手痛いしっぺ返しを受けているのではないだろうかという事です。大東亜戦争は、それまでの日本人が欧米列強への対応を不安ではなくて、上回った、或いは同等になったという過信から生まれたのだろうと思いますし、バブル崩壊という、経済戦争に破れた日本は、当時間違いなく、アメリカを凌駕したと過信をしていたのだろうと思っております。

 つまり、不安があると、物事に真摯に向き合う事が出来るし、過信があれば、我田引水の論理構築をし、物事を見誤るという事なのだろうと思います。そういった意味において、今は、良い状況なのかもしれません。

 しかし、日本の未来はとっても暗い。それは、その本質が恐らく、日本の社会構造が破壊されるまで、解決されないというレベルのものだからだと思います。つまり、既得権益層の既得権益の構造が制度化されて、強化されているという事なのだろうと。経済成長をしている段階においては、富は非権力層にも溢れてきますが、成長が止まった瞬間に、権力層つまり既得権益保有層がそれを独占する体制を構築するのです。

 東大を出て官僚となって、事業を起こして成功してと、一般人にも未来はありますが、その未来がだんだん狭くなってゆくのです。富を保有する層は、子供の教育にもその富を使う事が出来るし、その教育が有効である、教育制度を構築し、確立させてゆくわけです。

 単純に出身大学なんてものは、その人の能力評価にはあまり関係がありません。しかし、それを有効なものとしてシステム化するのがいわゆる学閥というものになるわけです。それは、どこの社会にもありますが。ただ、日本と海外で異なるのは、日本は入るのが難しく、出るのが容易いという事です。欧米の大学は、結構出るのが難しいので、その大学を卒業したという事はそれなりのステータスと同時にその能力も評価出来るものでもあると思います。

 大学入試センター試験の改革が言われております。改革のピントが外れております。大学入試は、高校の内申書による推薦とし、学力試験は1教科のみにすればいいのだろうと思うのです。そして、大学の単位認定レベルを全ての大学で統一にすれば。そうすれば、高校が意味のあるものになります。そして、大学が意味のあるものになります。大学生が学校へ行かずにバイトばかりで、卒業する(私もまさにそうでしたが)という社会は、能力以外のもので評価出来る社会を構築している層にとって有利なのではないでしょうか?そうすれば、いわゆる予備校といったサブと言う名のメイン教育システムが崩壊してしまいますので、彼らが既得権を簡単に手放す事はないでしょうが。

 ちなみに、高校入試も中学の内申書のみにすれば、中学での問題は消えてなくなるとおもいます。私立には、退学制度があるのですが、公立には退学はありません。とすれば、退学者のみを集める、つまり隔離剃る、学校を作ってやればいいのだろうと思います。普通の子供達は、普通の生活を送ってもらいたい。普通の人達は、普通の生活のなかで、例えば反社勢力の方と付き合う事はないだろうと思います。しかし、中学校では、付き合えと強制されているようなものです。分ける事で、各々が平穏になるのだろうと思ったりします。悪い子供を反社勢力に例えるなという真っ当な意見もあろうだろうと思いますが、現実的には、隔離というのがお互いに幸せになるものだろうと思います。