hikarimetal’s blog

基本的に自分のためだけにメモとして書いております。

日本の野党は保守ですよね。

 日本の野党は、保守であると思います。現状を変える事に全て反対ですから、保守なのだろうと思うのです。憲法改正に反対勢力は護憲と呼ばれます。おかしな言葉です。意味がわかりません。憲法を護るという事で護憲というのだろうと思うのですが、憲法は護るものでは無く、憲法は遵守するものです。憲法により国民があるのでは無く、国民により憲法が策定されているのです。であるから、憲法は護るものでは無いはずです。そもそも、世界のどこに護憲なんて言葉があるのでしょうか?憲法により憲法を改正する手続きを規定されているのですから、憲法を改正する事は憲法を遵守する事でもあります。その時代の国民により憲法が変わってゆく事は、当然の事です。その議論すらしないという野党に、一体何の正義があるのでしょうか?ある意味、国会議員としての権利の放棄であろうと思います。護憲というのが国民に染み付いてしまったとすれば、これを法律に変えて、護法とすれば、それがいかにインチキでしょうもない言葉なのか誰でも理解出来るでしょう。つまり、そういった主張が成り立つ程、日本という社会は異常なのだろうと思うわけです。

 憲法改正を唱える勢力は革新でしょう。憲法を変えないという勢力は保守でしょう普通。できればこれからそういう扱いにしてほしいものです。私の知り合いにいわゆる左翼という範疇の人がおられます。自治労とか日教組とか共産党とかの方です、とっても、真面目な人が多いように思います。ただ、本当に高齢化しているように見えます。今の若い人達は、そもそも、政治という問題についてあまり興味が無い人が多いように思えます。沖縄の基地問題で、反対運動を続けておられる人達の映像を見ると高齢の方が多いように見えて、悲しくなります。彼らは、何のために運動を続けているんだろうかと。彼らの運動は、広がらない、つまり、将来性が無い、何故なら、軍事力による戦争抑止力もあるという事に、多くの人は気づいているから、或いは、そういった事に全く興味が無いから。でも、運動は続けなければならない、それは、それを政治的に利用したい勢力がいるからなのです。その勢力を養うために、彼らが存在するんだろうなと。まあ、それも人生なので、否定も肯定もするつもりはありませんので、悲しい気持ちになるわけです。

 世の中は、そんなに綺麗なものではない。利用する人と利用される人がいて成り立っているのだろうと思います。そういった社会を、利用される事を理解しつつ生きるのも人生ですし、利用するためにに生きるのもまた人生であろうと思っております。だから、人の世は面白いのかもしれません。