hikarimetal’s blog

基本的に自分のためだけにメモとして書いております。

核使用は、戦争犯罪だと思います。何故、それを主張しないのでしょうか?

 同じことの繰り返しのですが、原爆を投下したのは、アメリカで、投下されたのは日本です。原爆は、軍事的なこじつけではありますが、戦争を早く終わらせるのに役立ったというのがアメリカの基本的な主張だと思います。つまり、戦争を終わらせるために、コストベネフィットの計算で、原爆投下はアメリカとして肯定しているという事になります。つまり、得るものがあれば、一般市民への無差別攻撃を肯定するというものです。それが、ベネフィットであると。

 その考え方に沿って、広島、長崎は、アメリカが投下した原爆に対して、投下された側の日本が、我々は悲惨な戦争をしません。核ほ保有しましせん。核の悲惨さを世界に伝えます。と宣言するのです。違うのでは?と誰も思わないのが不思議です。 

 そもそも、アメリカの主張が正しいのか、間違っているのかは検証するべきでしょう。国際法として、戦争を早期に止める目的での核使用は、正か否か。そこからスタートではないでしょうか?何故をそれを主張しないのか不思議でしかたがありません。

 核を削減しようとしまいと、そんな事は大した事ではありません。1個でもあって、それを使用することが肯定されたら、悲劇は繰り返します。そうじゃない、目的は核を持つ事では無く、核を使用しない事だと思います。その根本的な理念を、日本が唯一の被爆国であるのならば、何故、問題提起しないのか不思議でしかありません。日本の立場としては、核の使用は戦争犯罪である。2度と、核を使用させない、使用したら、その国が滅亡するまで、世界で袋叩きにする。というそういった主張をすべきなのではないでしょうか?もし、核戦争を起こさない、起こしたら、その国は核による反撃を世界中から受けても仕方が無いと国際的な合意事項にすれば、世界中に核兵器が拡散しても核抑止力が働き、核戦争が起きないのではないでしょうか?

 核軍縮の本当の目的は、核保有国が、核による支配をし続ける構図を作り上げているという事だけに見えます。クラスの中で5人はピストルを持つ事が許され、後の30人は丸腰であれば、5人が恐怖で、クラスを支配し続ける事が出来ます。5人にとっては、ある意味気持ちの良い環境ですが、残りの30人にとっては、苦しい状況ではあるでしょうが、それでも生き残るために、5人の力関係を利用して、どの人につくかで、クラス秩序を維持する事になります。意外に、その緊張感が、クラスの平和を維持していたという事でもあるでしょう。もし、5人から、ピストルを取り上げたら、クラス内の秩序が崩れるということにもあるでしょう。つまりピストルの無いクラスは、秩序の無い、平和では無いクラスになる可能性があります。その確率が高いようにも思います。最初に帰ってみましょう、何が目的だったのか?平和なクラスですよね。それであれば、5人からピストルを奪う方が平和では無いクラスに近づくのではないでしょうか?つまり、ピストルを持っていても、平和という目的が達成される可能性もあり、全員が持っていなくても平和では無いクラスになるとすれば、ピストル保有が問題ではなく、平和を維持する方法が何なのかという命題に沿った解を導き出す事が重要であると思うのが自然だと思います。

 ですから、核武装が抑止力に繋がって、平和が訪れるのであれば、世界中の国に核が拡散しても良いという事になります。ですから、広島、長崎の宣言に違和感を感じるのです。原爆使用は、戦争犯罪です。2度と犯罪を行ってはならない。何故、そう、宣言しないのか?不思議で仕方がありません。