hikarimetal’s blog

基本的に自分のためだけにメモとして書いております。

憲法護憲教の9条念仏について。

 ◎デーモーニングで、反戦反日を特集しております。平和が目的であるならば、軍事力を持たないという選択枝以外に無いと考えるのが、彼らに特徴であろうと思います。しかし、実際は、核抑止力もあるでしょうし、軍事力の均衡が戦争をもたらさない場合もあるはずです。その思考を止めるのが、正しいのか?と言えば、人間は、視野を狭くしたことで、歴史上多くの間違いを犯して来た事に気が付きます。原子力は危険では無い。事故が起きない。と考えれば、事故への対処が疎かになっていると思います。現実に、東電の原発事故はそこから生まれました。

 軍事力を持ったら戦争になる。なんて発想は、そもそも、自らが生きている民主主義を信頼していないという事を意味します。民衆が愚かでなければ、戦争は起きない仕組みになっているのが、民主国家である日本です。政治家が暴走するとすれば、その政治家を選出するのは、国民です。国民を信じる事が出来ない人達が、民主主義を語るというのをご都合主義と言わざるを得ません。民主主義が衆愚制に変わる、ポピュリズムに変わるというのは、歴史で学んで来た事でもあります。だから、民主主義を信用できないとするのであれば、民主主義そのものが間違いであるという事になります。つまり、左翼は、民衆を否定し、民衆を扇動する事を民主主義と称しているのですが、それは、彼らの忌み嫌う全体主義です。

 彼らが唱える、憲法護憲念仏は、9条9条と唱えれば、平和が来るとの教えです。そこに、合理性も何もありません。現実を見る事もありません。自分達が9条9条と唱えれば、外国も、9条9条と唱えるであろうという希望(頭お花畑と言いますが)しか持ち合わせておりません。原爆を浴びた日本だから、その言葉に世界は理解をしめすだろうと言いながら、ウイグル人への歴史的な弾圧には、無言です。ウイグル人の声は、あの人権第一教の教祖であるドイツですら取り上げなかったという事に、現在の世界を見るべきです。念仏で、世界は変わらないのです。というか、世界には、それぞれの宗教があって、経済宗もあれば、世界支配教もあれば、漢民族至上教もあるのです。9条念仏に理解を示すのは、9条念仏に自分達にとっての利用価値があると判断した時点だからです。

 もっとも効率的な政治形態は、独裁制であると、私は度々主張しております。つまり、優秀な独裁者がいれば、戦争は起きないという事だろうと思います。そして、優秀な独裁者が、全世界を支配すれば、戦争は無くなると思います。独裁制の弱点は、優秀でない独裁者がいる場合、それを止める事が出来ないという事になります。全てに一長一短であるという事になります。効率的であり自由であるという相反する事をスモールスケールで行っているのが、企業でして、多くの世界的企業は、例えば、GAFAとかは、創業者或いはそれに準じる人の、独裁制ですし、恐らく、その次の世代には、優秀な独裁者が率いなければ、弱体化してゆく可能性もあります。企業の場合は、独裁者の所謂命によって、淘汰される事もあります。つまり、国や国民或いは民族、そして宗教なんてものを排除した、経済的な集合体を国家とするような世界になれば、企業と同じような世界になるのかもしれません。

 つまり、ネット(或いは仮想環境の中に)存在する事が出来る国という概念が、100年200年先に、やって来るのかもしれません。町内会において、隣の人は、ドイツで、その隣は、アメリカで、税金が高いので、今年からイギリスからタイに移民しようとか。勿論、住所は、日本という土地に居住してはおりますが。なんて、時代がやって来るのかもしれません。そうすれば、戦争自体が無意味なものになります。所詮、戦争は、土地取り合戦です。そして、今の戦争は銭取り合戦であったりましますがべースには土地支配欲があると思います。それが、いかに無意味であるかという社会を作れば、土地取り合戦の戦争は無くなります。同じ、頭お花畑でも、9条念仏よりは、可能性があると思っております。