hikarimetal’s blog

基本的に自分のためだけにメモとして書いております。

今年も広島の日がやって来ました。

 広島の日です。いつも思います。広島の原爆は、アメリカの戦争犯罪です。民間人の虐殺、民間人をターゲットにした無差別攻撃です。敗戦すれば、アメリカの犯した無差別虐殺を、敗戦国の責任にしなければいけないという論理が理解出来ません。日本は、外国で、戦争犯罪を犯したのかもしれません。しかし、だから、アメリカの犯した虐殺は、アメリカの責任では無いというのは論理的なものではありません。どっちも同じように犯罪を犯したのであれば、どちらも同じように、否定されなければなりません。

 日本人は、それを曖昧にして来たように思います。一方的に過去に日本を責めて。それで終わりにしようと思っていたのだろうと思います。しかし、それは、間違っているんだろうと思います。日本人の逃げではないのかなと。臭いものには蓋をせよの精神で、歴史からの逃避をしているんではないかと、思います。

 韓国のように、75年前の事を裁こうとは思いません。過去を裁く事は出来ません。韓国のように、75年前の事で、お金儲けしようとも思いません。過去で、お金儲けをするようなさもしい気持ちである程、我々の今は不幸ではありません。それでも、原爆投下は、民間人への無差別攻撃であって、戦争犯罪であると、言い続ける事は必要だと思います。原爆という非常の兵器を使うと、こういった仕打ちが起きるんだと、重い十字架を背負わせる必要があると思います。それこそが、広島や長崎が行わなければならない事で、原爆投下された人が不戦の誓いをやって、投下した側、核を保有している側への抑制力になるとはとても思えません。今のアメリカを裁く必要はありません。しかし、当時のアメリカは戦争犯罪を犯したという事を、声を高らかに宣言するべきではないでしょうか?どこかの国が今後使用したら、その国を世界が、戦争犯罪国として、徹底的に叩き潰すと、高らかに宣言すべきであろうと思います。そういった事に賛同する国が増えれば、核兵器という、人類が作り出した悪魔を排除する道が生まれて来るのだと思います。

 日本人がやらなければいけないと思います。とすれば、日本人の犯したと言われる戦争責任、例えば、南京大虐殺についても、徹底的にその調査をすべきであると思います。過去を裁くのではなく、未来を作るために。戦争という狂気により、様々な犯罪が生まれていると思います。現代社会は、過去よりも学習したとするのではあれば、過去から学んだ事を、今生かして欲しいものです。

 広島について、左翼は、日本の軍部の責任であると主張します。どこまで、洗脳されているのかと思います。日本軍部の責任により戦争を遂行すれば、民間人が虐殺されるのか?それも、偶然、民間人を巻き込んだのではなく、最初から狙っていたはずです。彼らは原爆の効果を実験したかったのです。民間人がどれくらい被害を受けるかと。ですから、成果が、良く見えるように、曇りだった、小倉ではなく、長崎に落とされたのです。これを、何故、日本軍部が悪いのでしょうか?つまり、左翼の人は戦争したら、民間人が虐殺されても、虐殺した側に責任は無いと言われているんでしょうか?