hikarimetal’s blog

基本的に自分のためだけにメモとして書いております。

憲法改正という不毛な理論。

 5月3日は、憲法記念日ということで、全国各地で、改憲派護憲派が集会を開いていたのですが、今年は、コロナの関係で、盛り上がらないようです。そりゃあ、今の状況で、憲法改正なんてあり得ないと誰もが思っていることくらいは想像できます。そもそも、改憲派護憲派が対立する構図なって、正気の沙汰では無いと思います。憲法は変えられるべきもので、その変更内容を議論すべきものです。ですから、憲法改正するとかしないとか、という議論は不毛なものでしかないと思います。

 私は、改憲派です。9条もどうとか以前に、憲法は国家の最高法規であり、それを遵守しなければならないと考えておりますので、今の現状の憲法のように、解釈改憲ができる、そして、それが不備ゆえに、憲法解釈学が成立するような不完全なものを存続させ続けてはいけないと思っております。

 最高裁判所における違憲立法審査権の行使を明確にする事が必要であるという事。これが出来ていないのが、今の問題点の根幹でもあると思っております。違憲違憲であり、違憲状態って何ですか?違憲であれば、すぐさま、法律の効力を無効にするという権限を最高裁判所は有するべきであると思います。

 それと、権利と義務を明確に定義すべきであると思います。言論の自由は、言論による誹謗中傷を肯定するものではありません、日本のサービス業は狂っています。お客様は神様であるなんて、寝ぼけた事を正義であるとするような、馬鹿げた思想が日本をバカもの達の天国にしております。客も人間、店員も人間、それが自然な姿であり、平等の社会でもあります、お金のために、お客さまを神様にするという、卑屈な拝金主義を肯定する社会が、日本人というものをモンスターに変えてしまっているのではないでしょうか?

 国会を見ていれば、その国のレベルがわかります。相手を誹謗中傷する映像を延々と見せ続けられれば、国民も政治家を見限ります。誹謗中傷することが国会議員の努めであると勘違いしているアホが大量に国会にいるのが、この国の姿です。彼らの役目は、より良い社会を作るからであって、自分達の思い通りになる社会を作るというものではありません。相手を尊重し、相手を諭し、相手と交渉し、より良い法律を作ってゆく事が、与党、野党関係なしに国会議員の努めだと思います。国会は、法律を作る事が努めです。予算を審議するのが努めです。週刊誌や新聞のゴシップネタでパフォーマンスするのが国会ではありません。何故、そんな事がわからないのでしょうか?それは、国会議員に危機感が無いからだと思います。官僚にも危機感が無いですし、まあ、国民にも危機感はないですし、まあ国会は国民の縮図なのでしょうね。

 憲法を変えれば、全てが解決する事は無いでしょう。恐らく、何も変わらないでしょう。しかし、憲法変える権利が日本人にあるという事だけは理解出来るのではないでしょうか?先ずはそれからスタートなのかもしれません。