hikarimetal’s blog

基本的に自分のためだけにメモとして書いております。

世の中には、不思議な事が多いですね。

 学術会議問題は、流石に、憲法違反や法律違反という主張は無理筋だという事で、説明責任を追及するという方向になっているようです。まだ、憲法学者の中には、憲法違反であると主張される人もおられますが、まあ、彼らは、人に見えない、行間のの空白に書かれてある憲法の精神という文字が見えるような超能力者なので、一般人には理解不能ですので、まあ、それは放っておくとします。ただ、野党も、一枚岩でなくて、共産党は、憲法、法律を主張し続けておりますが、マスコミや立憲民主党は、任命拒否理由についての主張になっているように見えます。まあ、今回は、共産党にとっては大問題でもあったのだろうと思いますので、力の入れ方が違うのでしょうし、立憲についてはそれ程でも無いという事なのかもしれません。マスコミも立憲寄りなので、まあ、そういった方向なのかもしれません。

 映画業界とか、文化人グループの意見も結構出ております。彼らの中にも、立憲民主党くらいまでの支持者と共産党若しくはそれよりも左の支持者がおられると思いますが、立憲くらいまでの支持者はそれでも、アメリカ民主党やフランス、ドイツくらいまでのいわゆるリベラルという意識なのかなと思いますので、表現の自由という主張も判るのですが、共産党支持の人達って、そもそも、表現の自由が求めららる世界での、映画とか文化の分野の人が、表現の自由を制限する方向に動く、共産主義思想に走るというのは、あまり理解できません。自己否定をされているのではないかと思ったりします。映画監督として、政府ご用達の、北朝鮮のような映画を作成したいという事なのでしょうか?

 実は、リベラルもポリティカルコレクトネスという思想により、表現の自由を人権擁護によって弾圧される傾向にあります。そもそも、日本では普通の黒人と言う表現をアメリカでは基本、アフリカ系と言い換えなければなりません。男女、LGBT等差別表現は、叩かれます。ミスコンテストも、無くなるでしょうね。男女差別の無いコンテストになるでしょうし、そもそも、人を外見で評価する事も、禁止になる可能性があるでしょうね。つまり、リベラルという方向性も、表現の自由というものを制限する方向に向かっているのではあります。その中で、映画や文化として、表現の自由を求める事で、リベラルに向かうという、矛盾する方向に進んでいるのではないかと思ってしまいます。人を傷つけるような、誹謗中傷するような発言を抑制する事は当然でありますが、それは決して、有る勢力の考え方によって、押し付けるものではなく、常識として、或いは教育という背景の元、個人、個人が感じてゆくものではないかと思うのです。

 女性はうそをつきますからと、国会議員が、言ったら、辞職まで求めるという世界は、尋常な世界では無いと思います。国会議員の進退は、国民が選挙で決定するか、本人が決めるというのは、民主主義国家の原則であると思います。主義主張が問題あるからと言って、国会議員としての資質に問題があるので、辞職しろという発想は、民主主義国家の根底を覆すものであると思うのですが、それがおかしいと思わない人が、多くなってゆくのは怖い事ですね。まさに、人民裁判が行われる世界になります。そんな社会は、嫌だなぁと思います。ただ、制度としては改善すべきであろうと思います。犯罪等で逮捕されて、国会に出て来れない国会議員に歳費を支払うのは納得できません。無罪となった場合には、支給するとして、それまでは、支給を停止するといった方が良いのではないかと思います。勿論、病院とかに入院している人も当然、支給停止だと思います。

 ともあれ、世の中は不思議な事が多いと思います。自由、自由と主張する人達が、最も、自由を否定する方向に向かった思想を持っているとか。