hikarimetal’s blog

基本的に自分のためだけにメモとして書いております。

「戦争だけは、絶対にはじめてはいけない。」半藤一利

年「戦争だけは、絶対にはじめてはいけない。」、今サンデーモーニング半藤一利さんの言葉として伝えております。この左翼番組の解釈は、言論の自由が戦争を防ぐと主張しております。本当でしょうか?言論の自由とは、左翼の言論が自由なだけではなく、彼らがヘイトと呼ぶ人、彼らが、ポリティカル・コレクトネスで弾圧する思想も自由でなければならないという事になるのではと思います。

 彼らの言う言論の自由は、当然ながら、言論統制を生み出さなければ保障されないと思います。それは、法律になるのかもしれません。言論の自由を保障するために、一部の言論を統制あるいは禁止する法律が必要というアイロニーですね。

 民主主義国家が成立する要件としては、国民のレベルがそれなりに高くないといけないと思います。その前提で言えば、言論の自由というものは、国民個人が判断し、律しないといけないのであって、それを強制したり、法律にするというのは、ある意味、民主主義というものの否定ではないのかと思ったりします。

 「戦争だけは、絶対にはじめてはいけない。」これは、素晴らしい考えだと思います。しかし、左翼マスコミが主張する軍事力と戦争は、一つのアプローチであって、アプローチがそれ以外に無いという思想は、間違っていると思います。お互いに、核ミサイルを保有する事で、抑止力が働いて戦争回避するというアプローチだってあって良いのではないかと思います。つまり、軍事力の拡大=戦争準備とする画一的な発想が間違っているのではないかと思います。

 戦争を起こすのは、ガバナンスの問題だと思います。軍事力の拡張があっても、しっかりと戦争を起こさないガバナンスが機能しておれば、戦争は起きません。民主主義国家なので、そういった思想を有する政治家を選ばなければ良いだけのことでもあります。日本国民は、愚かであるとの前提で左翼は主張するのですが、果たしてそうなのかなと思います。戦後もう75年になりますが、日本は自衛を含む武力行使を行っておりません。それは、左翼の主張する愚かな国民によって、もたらされた素晴らしい業績であると思っております。つまり、左翼が主張する程、国民は愚かではなかったという事の証明でもあると思います。