hikarimetal’s blog

基本的に自分のためだけにメモとして書いております。

民主主義という試行の終わりについて。

 ツィッター社が、トランプ大統領のアカウントを永久停止したとの事。これが、現在の民主主義、自由主義というものの現実だと思います。ある種の思想に基づく発言は、ポリティカルコレクトネスという概念で、発言そのものを否定する事が出来るようになりました。本来、民主主義、自由主義国家のスタンスは、100%の意見に対し、最も支持を受ける意見をベースに政策を決定するというものだと思いますが、このポリコレという概念が拡大するにつれて、90%、80%と意見の範囲が狭くなってゆきます。もし、これが50%を切れば、当然反対勢力を確実屠る事が出来る訳で、言論統制が完成し、独裁国家となるはずです。アメリカも、中国化してゆくのでしょう。

 しかし、何故、民主主義は崩壊したのでしょうか?それは、民主主義が構造的に持つ欠点によるものであろうと思います。アテネ直接民主制が崩壊したのは、衆愚制になってしまった事によると歴史の中で言われております。その後、民主主義という概念はイギリスの市民革命までは消え去っておりました。古代ローマにおいて、ある種の民主制が維持されたいたとは思いますが、その非効率性或いは多くの諸問題により、カエサルによって、破壊され、オクタビアヌスによって、帝政に変えられました。

 現代の民主主義が崩壊している要因として、それは、民衆の劣化であると思います。民主主義とは、権利と義務が存在していることで成り立っておりますが、権利を主張するだけの世界になりますと、衆愚制に陥る事になります。今回のアメリカの問題もまさにそこでしょう。バイデンを支持する勢力には、反人種差別主義者というより、逆人種差別主義者が含まれていると思います。この勢力が、更に、ポリコレを強化してゆくであろうと想像できます。ポリティカルコレクトネスは、エリート層が、民衆を信頼していないという証でもあります。それは、アメリカもまた、独裁制に向かっている事を意味しているように思います。民衆の劣化は、民主主義という生ぬるい環境において発生したのであろうと思いますので、これから、再び、かつてのような民主主義が復活するとは思えません。

 人間は、賢明であり、更に、賢明になってゆく事が前提で、政治というものに対し、自らの選択により、自らの将来を決定するという事が民主主義としての理想であります。しかし、それが非現実的であろうとなり、人間は、愚かで、我儘で、更に愚かで我儘になるという前提で、優秀なエリートが独裁的に愚かな民衆を導くという体制、つまり独裁制に、人類は向かってゆくのであろうと思います。

 私は、民主主義は非効率で、独裁制は効率的であると思っております。この2つが戦えば、必ず、独裁制が勝利するはずだと。ただ、条件としては、優秀な独裁者による独裁である事が必要だと思いますが。日本は、意外に優秀な独裁者を生み出す仕組みを有しておりました。中国は、有しておりませんでしたので、易姓革命が発生しましたが、日本の天皇により、君臨すれど統治しないシステムは、独裁国家としては、非常に優秀なシステムだったのかもしれません。今は、そのシステムは完全に放棄されてしまい、普通の民主主義国家になり、将来的には、象徴天皇制も無くなってしまうのだろなと想像しております。ただ、面白いのは、象徴天皇制を実際は否定している勢力が、現行憲法を護るという護憲思想を有しているという事なのです。彼らの中にある矛盾は、相当なものがあるだろうなとは思っております。ある意味、自民党その他の象徴天皇制維持層にとっては、彼らの護憲運動は、非常に有難い事で、うまく利用しているのかもしれません。今では、共産党ですら護憲ですから。(国民の大多数が了解すれば、天皇制は廃止しても良いと主張しておりますが、それって、改憲論ですよね)

 この、コロナ感染症により、世界は大きく変わるであろうと思われます。欧米からアジアの時代に、民主主義から独裁統制主義にと。中国が世界を支配するとは思いません。しかし、確実に、中国型の独裁制国家は増えてゆくであろうと思います。