hikarimetal’s blog

基本的に自分のためだけにメモとして書いております。

SNSという闇について

 どんなに悲しい人生を送ったら、「一日中BABYMETALの情報を追って、アンチコメントを書くようになるんだろう」というコメントを見たのですが、その時自分の心にナイフが刺さったような気がしました。勿論、私は、アンチではなく、アンチのコメントに対し、ネガティブな気持ちになっていました。ただ、その時思ったのです、SNSで不平不満を書いて、人を批判し続けている人は心に闇があるのだろうなと。多かれ、少なかれ、人の心には闇があって、それを、匿名で開放できる場所がSNSなのだろうと思うのです。そして、その自らのコメントに反対意見を見ると、真っ赤に燃え上がって反論することで、生きていることを実感するのだろうと思います。これは、生きているという罰を背負った、ある意味十字架を背負ったキリストのような罪の受け方、つまり地獄のような状況なのだろうと思ったりします。

 人は、人として人と理解しあいながら、そして、人と自分を区別しながら生きてゆけるという権利を有してこの世にいるのですが、それを自ら、或いは他人によって、否定される人生とは、あまりに悲しすぎるように思います。私もこんな事を書いているという事はその入り口に立っているのか、それとも、その沼にずっぽりとはまってしまっているのか、わかりませんが、十字架を背追ってしまったのかもしれません。

 SNSは人間の闇を顕在化させるツールであろうと思いますし、そして、顕在化させるたところで、幸せは訪れないだろうと思います。どんどん、自らの闇が深くなるんだろうと。私は、アンチという人の気持ちが良くわかりません。今日のストックホルムのライブに朝の5時から、ケチをつけ続けているアンチの人を見ると、物凄く大変な宿命を追った方なんだろうなと思うようになりました。普通の人には出来ないのです、嫌いな事に時間を裂くなんて。自分の好きな事をしたいと。しかし、その方は、嫌いなアーティストの情報をリアルタイムで追いかけながら、アンチコメントを書き、そして、それに反論される事が好きであるという事なのです。そして、それがその方の生きている証という事なのだろうと思うのです。人としては、悲しいというか、何かの罪を背負ったような生き方としか思えません。自分には、そういった方のような、モチベーションを有する事はできませんので、ある意味、凄いなぁと思います。ただ、決して、そういった人になりたいとは思わないですが。

 SNSがなければ、その方のような人の闇は、今のようには深くならなかったかもしれません。しかし、そういった人間が生まれる事も含めて、人類は何か大きな転機を迎えたという事なのかもしれないと思っております。