hikarimetal’s blog

基本的に自分のためだけにメモとして書いております。

歴史の歪について

 歴史というものに興味があります。よく言われていることに、歴史は、宣伝媒体を有したものにより作られるという事があります。有名なのは、菅原道真とか、源義経とか、楠正成とか、坂本龍馬とか西郷隆盛とかでしょうか。いわゆる敗者が英雄になるという事があるわけです。

 逆に、敗者が敗者のまま切り捨てられる場合もあります。大友皇子とか、道鏡とか、平宗盛とか、北条高時とか、明智光秀とか、石田三成とか江藤新平とか思いつくだけでもいくらでもあります。

 中国では、次の王朝により、前の王朝の正史を書く事になっているために、王朝の最後はほぼ悪役になります。日本もそういった傾向にあると思いますが、それなりに民衆の力で或いは民衆の思いで、変えられる場合があるようだと思います。中国でも三国志三国志演義のように、正史と民間の思いが並列になっているものがあります。

 日本の戦後もまさに、勝者による歴史感のままだろうと思っております。つまり、勝者であるアメリカ的価値観により書かれた歴史を我々日本人はそれが正しいものであると刷り込まれているという事なのだろうと思っております。勝者は、必ずしも、過去を否定する訳ではありませんが、過去を否定する事により統治するケースが多いのは確かであります。その中には、結構な矛盾もあって、その矛盾を処理しきれないという場合もあります。

 戦後において、日本人は、憲法という矛盾を背負ってしまいました。世界的な共通理解であれば、戦争をしないために、軍備を保有するというのが普通です。軍備を保有するのは、戦争をしないためなのです。勿論、国民の多くもそう理解しています。ある意味、北朝鮮が自国防衛のために核兵器保有するという理論は世界的に見れば、常識であろうと思います。いわゆる5大国のみが核兵器保有し、世界秩序を守るという構図自体が、まやかしであるというのは、世界中の多くの人が理解しているのだろうと思っているだろうと思います。しかし、現実的には、その体制の方が安全である事から、それを暗黙の中で理解しているという事なのだろうと考えております。

 その中で、日本だけは、憲法という大きな矛盾を背負っております。平和を追求する。その手段としして軍事力による解決を放棄するという条項です。平和という概念が支配された平和であれば、哲学としては成り立つと思います。例えば、アメリカの主権の中で、被征服国民としての平和であれば。しかし、日本国民による主権も同時に記載されているのですから、自主独立を守るために軍事力は必要であるという現状認識が無いというのは、大きな矛盾であろうと思う訳です。

 現実的には、日米安全保障条約という、軍事的にはアメリカの支配下に入る事で、成り立っているに過ぎないもの、それが、憲法であるのです。これは、また矛盾ですよね。だって、護憲と称する左翼は、アメリカが大嫌いですから。しかし、彼らが命を賭けて守っている憲法は、彼らの大嫌いな日米安保条約無しでは成り立たないのですから。

 左翼の息がかかった市民団体等の多くは、戦争反対、軍備反対という矛盾を唱えております。本当に戦争したく無いのであれば、軍備を全く持たずに、理不尽な戦争を起こされても直ぐに降伏し、その支配下に入るという事か、或いは、他国が戦争を仕掛けたく無くなるほどの圧倒的な軍事力を保有するかという事の2択しか無いわけです。

 左翼的思想の中で変わらずあるのが、じゃあ、どこが攻めてくるんですか?攻めて来るような国なんてありませんよ。とい主張します。勿論、攻めて来ないかもしれません。だって、日本には世界最強のアメリカ軍が駐屯しているのですから。日本の軍備をなくすれば、当然アメリカの支配が強まります。左翼はそれがいいと思っているのでしょうか?韓国ののようにアメリカというバックボーンが無くなれば、中国の支配を受け入れるという事なのでしょうか?左翼は、中国という国の支配を望んでいるんでしょうか?というか、望んでいるのだろうと思います。左翼は、かつてのソ連北朝鮮や中国といった所謂共産主義的な独裁国家が大好きであるからです。ソ連傘下であったポーランドハンガリーのような衛星国に日本をしたいと思っているのだろうと思います。

 右翼も左翼も目指すところは同じです。思想による支配です。そして、その思想に対し生じる矛盾を力によって押さえ込みます。いわゆる独裁です。私は、独裁を否定しません。いや、逆に肯定的に考えております。民主主義は、個々の既得権益の調整を図るために、非常に効率が悪いシステムでありますので、独裁制の方が間違いなく優れていると思っております。しかし、愚者が独裁すれば、致命的な失敗をするシステムでもありますので、そこは非常に難しいと思っております。しかし、右翼は、基本的に柵がありませんので、自由度が高いと思いますが、左翼、特に護憲という矛盾を抱えた左翼においては、独裁時に、戦争と平和という手法的な矛盾を解決出来ないであろうとと思います。つまり、自主独立という基本が崩さざるを得ない独裁となります。とすれば、左翼政権による独裁ではなく、例えば、中国政府による独裁という事になるのだろうと思うわけです。

 今の韓国を見れば、そのモデルになろうかと思います。大統領という独裁的な権限を有した左翼が、とった道は、中国と北朝鮮の支配を受け入れるというものになってしまいました。それでも、彼らには矛盾のある日本国憲法はありませんので、軍事力だけは保有し続ける事が出来ております。それ故、完全な支配下とはなっておりません。今後、アメリカ軍が撤退し、自国の軍事力を弱めていくように、指示されるでしょうから、支配は強まってゆくであろうとは思いますが。

 日本は、もし、そうなれば、韓国寄りは速く、支配されてゆくであろうと思います。それを、国民が受け入れる時が来るのかどうかは分かりませんが。戦争したくないので、軍事力を持つなというような主張をする、幼稚な人が多くいる国を信用することはできません。(今時、この世に泥棒はいないから、優しく付き合っていれば、泥棒されないから、家の鍵は不要です。と言って信じるような幼稚園児がいるとは思いませんが、日本の大人には結構おります。)

 日本の左翼というものは、世界的に見ても普通の左翼ではなく、特殊な左翼なのかもしれません。だって、日本以外の国には、日本国憲法のような矛盾が存在しておりませんので。勿論、左翼の指導的立場におられる方は、それを理解して利用していると思っております。そうでなければ、アホだから。流石に、日本でもアホが指導者にはなれませんので。