hikarimetal’s blog

基本的に自分のためだけにメモとして書いております。

高校野球について。

 高校野球が、日本社会の象徴じゃないのかと思っています。未熟な子供達が、一生懸命仲間と力を合わせて野球する姿に、日本人は涙するという構図。彼らはまた、高校からの代表で、OBにとっての誇りでもあり、地域代表でもあるわけです。高野連は、教育の一環であるとの姿勢をずっと保ち続けており、アマチュア野球としての理想形とも言える姿で、変わらない日本精神の象徴であるというものです。

 しかし、これは、あくまで建前でありまして、本当の部分が隠されている訳です。未熟な子の熱意が話題になる部分も勿論有りますが、実際は、スーパー高校生を見る事に熱狂する方が正確なのではないでしょうか?その特別な選手を一杯集めた高校がやっぱり強い訳です。OBの誇りでもありますし、地域代表でもありますが、実際は高校の知名度UPからの、学校経営への貢献が最も重要なテーマでもあり、そのために優秀な選手を集め、優秀な指導者を引っ張って来て、練習施設、合宿所とかしっかりと設備投資を行う事になるというものです。もう、これは、選手にはお金を渡していないだけで、ベースはプロと言っても過言では無いのかもしれません。

 高野連も、春と夏の甲子園を国民的なイベントとして、組織維持活動のために利用しておりますし、両大会は、新聞社主催で、TVがタイアップしております。完全にコマーシャリズムの上に成り立ったイベントであるというのは間違い無いのですが、それでも、アマチュアスポーツで有り、教育の一貫であるとしているのは、ある意味滑稽にしか見えないのです。かつて、熱射病に対してキャンペーンを張った某新聞社は、真夏の甲子園の主催者です。笑い話にしか見えないですよね。新聞社の都合、高野連の都合で、下手すれば40度超えるような炎天下で、野球をやり、それを高校生が応援するのです。秋の土日にすれば、どれだけ環境が良いのではと思いますが、それをしないのは、その過酷さが人の心を打つからでもあるだろうと思います。

 こういった建前と本音の矛盾をそのまま容認している事で論理的に破綻しているような事に固執せざるを得なくなり、嘘に嘘を重ねるというのが、日本らしいなということです。まさに、その典型ではないだろうかと。

 今回は、高野連は、無観客大会開催か、中止のどちらかを選択する事になるのだそうです。ここで、高野連と某エブリデー新聞の姿勢が良くわかると思います。高校生の安全が第一であれば、当然、中止です。高校生の気持ちを無視するのかと言う意見があるでしょうが、子供達の心を理解した上で、それよりも子供達の将来つまり安全を優先するのが大人であろうと思います。そこに、無観客でTV中継だけをやろうという、イベンターとしての顔が見えて来るのも面白いと思います。つまり、彼らがここで、本音を出して、イベントを強行するということになるわけです。小高校生の気持ちを組んでとか言ってね。さあ、どちらを選択するのでしょうか?

 もう、いい加減に高野連もそれなりに時代に合わせて変わってゆくべきなのでしょうね。そもそも、野球をトーナメントでというのは、あまりに変だろうなと思います。高校野球も、地区大会はリーグ戦にして、決勝大会を各地区優勝者で戦うみたいな事でもいいんじゃないかなとは思ったりします。もっと言えば、もうアマチュアでは無い姿を明確に示して、子供達の特待生待遇とか、もしかしたら資金提供等すら認めてもいいんじゃないのかなと思ったりもします。

 まあ、それはそれとして、今回の選択は興味があります。これで、少しは高野連が変わればいいんだけどね。まあ、無理でしょうが。