hikarimetal’s blog

基本的に自分のためだけにメモとして書いております。

五輪無観客開催は、マスコミの大勝利ということでしょう。

 五輪が無観客開催になりました。これは、間違いなく、マスコミの勝利ですね。マスコミが、コロナの恐怖を煽り、国民を1年以上扇動した結果、国民、そして政府の冷静な判断能力を失わせる事に成功したという事なのでしょう。

 今の、左派マスコミが恐れているのは、間違いなく正常な思考回路を持った日本なんだろうと思います。戦後、刷り込まれた被虐史観によって、日本人は、普通に思考することを制限されてきました。戦争責任という意味であれば、戦争自体には責任は存在しません。非戦闘要員への殺戮は、戦争責任です。

 米国の、東京空襲、広島、長崎の原爆投下これは、間違いなく、民間人の無差別虐殺であって、戦争責任を問われるべき戦争犯罪だと思います。しかし、米国による統治によって、日本が悪であるから、日本人が被害を被るのが当然であるという刷り込みが行われたのだと思います。日本人に冷静で客観的な判断をさせないために。ですから、一生懸命、プロパガンダを行います。日本軍の責任追及として、南京大虐殺はその典型でしょう。南京大虐殺は無かったのかもしれませんし、もっと小規模だったのかもしれません、ただ、あったとしても、東京空襲と原爆の戦争責任は消えません。悪人だあるから、殺されていいという論理は成立しません。

 今の、左派マスコミは、戦争を煽った人達の末裔で、戦後は、反政府の左翼に転じました。彼らの特徴は、洗脳を受けやすいという事なんでしょう。戦前は、軍部に、戦後は米国にと。

 安倍政権は、左派マスコミによって、極右と呼ばれていましたが、政策自体は、中道左的なスタンスであったと思います。そもそも、安全保障に関しては、右翼も左翼も基本は同じはずです。集団的自衛権と言う問題は、日米安保闘争を彷彿とさせる問題でもあったのかなと思います。今、日米安保で闘争が起こったということに関して、その闘争を肯定するとか否定するとか含めて、熱く語る人は少数ではないでしょうか?集団的自衛権の問題も同じ用に20年後には、自然なものとして国策に組み込まれてゆくだろうと思います。現代社会において、集団的自衛権の行使体制は、戦争を起こすためではなく、抑止力としての効果の方が強いというのは、明白ですから。

 左派マスコミにおいて、護憲と反日は、絶対的なものでした。普通、世界的には、左派も右派も、ナショナリズムとか民族闘争とかを活用するのが自然なので、反日という戦略は、日本人には浸透しないと思います。反政府は当然なのですが、普通は政府を外国の傀儡と呼んで、ナショナリズムを盛り上げるべきなのです。かつては、米国の傀儡と呼んでましたよね。しかし、当時、左派マスコミが絶賛した社会、ソ連北朝鮮は、流石に、理想とは言い難くなっておりますし、中国や韓国にしても、あまり理想的な国家であると言い難いと思われます。勿論米国も。つまり、反日はしたいのだけど、理想となる国が無いというのが現実なんでしょうね。つまり、敵対する日本政府を、傀儡と呼べるような力を有した国が存在しなくなったという事なんでしょう。

 とすれば、どうするべきかと言えば、日本を弱くすれば良い、安倍政権時に、上昇した国際的ポジションを下げる必要があるという事なのでしょう。考え方としては、愚かなのですが、人間は得てしてこういう失敗をしがちです。会社でも、ライバルの足を引っ張って自分が上に行くために、会社の不利益を容認するとかね。実際、自分が権力を握っても、弱体化した会社を立て直す事が出来なかったりします。まあ、中国史の中で、一杯出て来る事例でもあります。

 今回の無観客開催は、政府にとって大きな痛手でしょう。しかし、それだけでは無く日本にとって大きな痛手だったと思います。マスコミは、勝利の美酒に酔いしれているでしょうが、日本の弱体化によって、自らが、相当な損害を受けるであろうという事は確実でしょう。少なくとも、いわゆるオールドメディアの信頼感は更に低下してゆくでしょう。それは、自分で自分の首を占めたという事を痛感するのではないでしょうか?

まあ、自業自得でしょうね。