hikarimetal’s blog

基本的に自分のためだけにメモとして書いております。

正義と悪は、人間の中に両方とも存在していると思います。

 国際関係は、日本の左派マスコミが考える程単純ではないと思います。善人ばかりではなく、悪人ばかりではない、自分達の国民の為に、正義も悪も、含めて、駆け引きを行っているのだと思います。これは、人間という生き物全てに言えるものであって、100%正義の人もいないし、100%悪の人もいない。しかし、人は、自分が100%正しいと考えてしまう。だから妥協出来ないのだと思います。右派マスコミなんていないかも或いは少ないかもしれませんが、もし、そういった人がいたとしても同じように、100%の正義という意識を有していれば、同じ事だろうと思います。

 個人間では、その正義感のぶつかりによって、喧嘩が生まれたりしますが、国の関係によっても同様だと思います。単純に言えば戦争ですが、さすがに、そこまで人が愚かではなく、戦争を回避する意識も有するようにはなりました。ただ、日本にだけ、軍靴の音が聞こえる日本人もおられますが。(耳、悪いんのかな?笑)あの、北朝鮮にだって、100%悪ではないでしょう。彼らにだって彼らの正義があります。中国にだって、アメリカにだって、左派マスコミが大好きなドイツやフランスにだって、正義も悪もあります。お金のためなら、人権侵害を続ける中国を擁護する人権国家ドイツなんて役割を平然とやってゆけます。さすがに、今は、中国批判をやんわりとしておりますが。

 右派(極右は別にして)所謂、資本主義系の国が少しは、人間として生きやすいかと言えば、人間の欲を肯定し、単純に言えば、人間の欲得で妥協するという、ある種の悪を認めたからでしょう。左派においては、100%自分が正しいので、他人に妥協するのは敗北になりますので、ここを譲歩しません。

 最近の左派マスコミの酷さは一般人からすれば、目を覆うくらい悲惨に見えます。哀れに見えます。道化に見えます。自分達の100%正義が揺らいでいる事を認識せずに、振りかざし、それを理解させるために、デフォルメを交えて煽るというものです。今でも、その異常さをそれなりの国民は理解し、信用しなくなりましたが、その信用されないという事について、自分達の正義が間違っているという事を考えずに、理解しない国民が間違っていると思いが強くなったのだろうと思います。

 とすれば、愚かな国民を扇動するために、嘘も捏造も厭わないようになってしまいました。相手を攻撃する場合は、手法は何でも許されると思うようになりました。それが、まさに、自分達の首を絞めていると理解出来ないくらい、愚かになってしまったという事だろうと思います。これが、典型的な自分達の正義が100%という人達の姿になります。自分達を理解しない人達は敵になります、敵に対してはどういった手法を使っても良いという事になります。そこには、まさに、「軍靴の音が聞こえて来る」のではないでしょうか?

 ジャーナリズムの基本は、事実を事実として伝える事だと思います。勿論、事実を論評するのは、当然必要だと思います。ただ、そこには、明確な論理性が無いといけないのではないでしょうか?最初に政府批判という結論があって、そこに向けて論理を構築してしまうので、矛盾が乗じる訳です。賢明な国民は、その矛盾を見逃しません。そもそも、国民の中には、マスコミよりはるかに専門的知識を有する人達がいます。その人をいい加減な知識で、騙せるはずが無いと、何故思わないのか?そして、その人達がネットというツールを有して、発信できるという事を何故理解出来ないのか?不思議です。マスコミは、ネット情報はいい加減だと、フェイクだと主張しておりますが。勿論そういったものもありますし、素晴らしい専門的意見も当然あります。

 今回の件も、政府が任命拒否した。政府が学問の自由を侵害した。政府が悪い。政府を批判して、政局に繋げよう。結論が透けて見えます。政府が任命を拒否した。何故なのか?→取材→政府に批判的な主張。しかし、10人くらいは、批判的な主張をした人も任命されている。何故なのか?→取材、調査→この6人は共産党関係者ではないか?→取材、調査→政府は共産党系の人を入れたく無いという事なのか?→取材、調査→過去に共産党系の学者がどういった事をしていたのか?→取材、調査→そもそも、日本学術会議なる組織に問題点は無いのか?→取材、調査→世界の先進国の状況はどうなんだろうか?→取材、調査→日本学術会議に批判的な人はいるんだろうか?、或いは肯定的な人はいるんだろうか?といった具合に取材し調査すれば、本質が見えて来るのだろうと思います。事実を積み重ねる事によって、見えて来る問題点、それは、一つではなく、複数の問題点があるかもしれないし、良い点もあるかもしれない。どこが問題で、どこをどう改善すれば、より良い未来が見えるのか?それを論評するのが、ジャーナリズムの本質だと思います。それが出来ない、単に政府批判をする目的だけであれば、それはジャーナリストではなく、単なる活動家です。そして、ネット環境下においては、そのレベルが完全にバレてしまっているという事も理解すべきだと思います。ですから、哀れであり、惨めであり、道化であるという事を理解すべきだと思います。