hikarimetal’s blog

基本的に自分のためだけにメモとして書いております。

人間は、牛にとって悪魔なのでしょうか?

 人間は、牛、豚、鶏の命を奪って、美味しいその肉を頂いております。牛は2年くらい、豚は1年くらい、鶏は3か月くらいから6か月くらいで、その人生というか命を終える事になります。ブロイラーとかの鶏は生まれてから日の光を見ないまま、生命を終える事もあります。

 彼らに対して、人間は非道であり、悪魔でもあります。鯨を愛する欧米人は、牛を大量に殺す人種でもある訳で、彼らの鯨愛は、あまりに自分勝手なものに見えるのです。

 しかし、視点を変えると。生命というものは、種の存続がテーマでもあります。太古の昔より、その種を維持し続ける事、つまり、生き残るために全力を尽くして来たと言われるわけです。「強いものが生き残るのではなく、環境の変化に対応できるものが生き残る」という言葉があります。地球上で最も強い権力を有するのは、地球という自然ですが、その次は、人間だろうと思います。人間という強い敵がいる中で、生き残ってゆく事が他の生物に課された使命なのかもしれません。とすれば、牛も、豚も、鶏も、人間に食べられる事によって、その種を維持しているという事になるのかもしれません。例えば、牛は、もし、お肉がおいしく無ければ、もう、この世に存在していないかもしれません。かつての日本では、牛は、牛車や農耕用として使用されておりました。しかし、現代社会において、車もトラクターもありますので、牛は不要な生き物になっていたのかもしれません。

 つまり、悲劇の中にも、真理があるのかもしれません。それを一面的な考えて、肯定したり否定したりするのは、適切ではないのではと思っております。

 黒人差別問題も同じだと思っております。少なくともアメリカでは、黒人の権利は十分に保障されていると思います。黒人だからという差別はかなり少ないと思うのです。マイケル・ジャクソンも、マイケル・ジョーダンも、そして、バラク・オバマも黒人です。差別があれば、彼らは存在していなかったと思います。そうではなく、黒人の多くよりも、ヒスパニックやアジアンの方が生き方がうまかったというものだろうと思います。そこには、差別問題ではなくて、差別されたという意識が強いのではと思ったりもします。差別は、差別する側で作り出すケースが多いと思いますが、実は差別された方が作るケースもあるのではと思ったりします。そもそも、アメリカでの人種差別反対運動程、無価値な運動は無いのではと思っております。そもそも、黒人だから、殺されたのではなく、犯罪者であり、そして、もしかしたら警察官も襲われるという恐怖心から発生したという可能性もあるはずで、恐らくは、差別よりも、銃社会の方が危険な環境であろうという事ではないかと思います。

 アメリカには、多くの問題があると思います。しかし、昨今のアメリカは、その問題を、顕在化させて、大きくしようとする政治的な勢力が支配するようになりました。これは本当に大きな問題なんだろうなと思います。