hikarimetal’s blog

基本的に自分のためだけにメモとして書いております。

美空ひばりと島津亜矢と中元すず香と。

 美空ひばりの歌う、「恋人よ」をユーチューブで見まして、この天才は、どんな曲も、美空ひばりにするんだなと思いました。また、島津亜矢という現代の天才は、どんな曲も、オリジナルの線を作って、それより上手く歌うので対照的に見えます。しかし、美空ひばりが不世出の大歌手であるのは、美空ひばりだからで、美空の前に美空無し、美空の後に美空無しという事なんだろうなと思います。

 そこで、思うのは、中元すず香さんの事です。ASHの頃から彼女はずっとLIVE映像が公(厳密には、適法でもないかもしれませんが)に残っている稀有の人です。8歳の、9歳の、10歳のと、年次を追って彼女の歌を見る事出来ます。彼女のファンは世界じゅうにいるので、世界中のファンが8歳の彼女を見る事が出来る訳です。今後も、こんな人は現れないだろうなと思います。

 そして、彼女のカバーの特徴は、美空ではなく、島津でもない、なんというか、ニュートラルなんだと思います。中元すず香を出すのではなく、原曲のものまねをするのではなく、曲の世界を彼女なりに表現しようとしているというのではないかと思います。だから、子供の頃から、「私上手いでしょう?」的な匂いがしないように思います。そういった少し意識したアマチュアは、美空になるか島津のどちらかになります。この2人ほどの能力が有り技術があれば、それで聞く方も感動するのですが、しょせんはアマチュアなんで、その匂いに辟易とする場合もあります。しかし、中元すず香さんは、平然と歌い方を変えます。人に似せて変えるのは、自分が無いから変えるのでしょうが、彼女はしっかりとした自分があって、変えるので、凄いなぁと思います。「明日への扉」と「オトシモノ」は2年くらい時間的な差があるのですが、全然違う人が歌っていると説明されてれば、そうなんだなと思ってしまいます。

 それは、曲を中心にして、考えているからなんだろうなと思います。自分があって、曲があるという意味では、美空も島津も同じです、これが出来る歌手は、非凡であり物凄い人であるから出来る事なのだと思います。しかし、曲があって自分があるというのも、実は、物凄い事なのではないのかなと思います。そもそも、一つのアルバムの中で、BNDとNNBとディストーションとBxMxCを同じヴォーカルとは思えない人もいるんじゃないかなと思います。しかし、よ~く聞けば、全て、変わらない中元すず香がいるんだと思います。これって、物凄い事なのではないかと思いますし、彼女は、自然とそれが出来ていたんだという事を、一般人が見ることができるという奇跡を、感じる事が出来る幸運を、ずっと大切にしてゆきたいなと思います。