hikarimetal’s blog

基本的に自分のためだけにメモとして書いております。

日本にあるPCR教とかの宗教論について。

 PCR教の信者が、PCR拡大念仏を唱えております。しかし、それはあくまで念仏です。念じれば、拡大すると思っているんです。周りから見れば、奇妙なのですが、彼ら信者にはその奇妙さが全く理解出来ないのだろうと思います。PCR検査が拡大しないのを政府が無能であるとPRしているのです。でもね、彼らがしたいのは、PCR検査の拡大ですよね。だったら、政府が悪いで終わるのがジャーナリズムなんでしょうか?本質を取材し、その問題点を探しだすのが、ジャーナリズムではないんでしょうか?ただ、そもそも、TVに取材力はあるんでしょうか?誰かに電話で聞いて、何とか先生がこう言っているとさも、真実のように言うだけでしょう。地道に、多くの人に取材をして、真実を突き止めるような、体力はもう無いのでしょう。そこには、もう、ジャーナリズムというものは存在しないでしょうね。ただの、野次馬でしょう。その野次馬を、世の中の野次馬が面白がって見ているという構図なんでしょうね。PCR教の教義は、PCR検査を拡大すれば、感染が収まるという事なんですが、そこには、ターゲットとなる視点が全くないように思います。彼らがしたいのは、感染防御なのか?それとも、重症化(死者)阻止なのか?どっちをメインに考えるのか?というものです。彼らは、感染者数を減らす事が目的で、それには、検査して隔離だと言っているのです。しかし、実際はそれはあくまで、手段の一つであって、本質は死者数を減らす事でしょう。死者数を減らすにはどうしたら良いか?まずそこから考えてゆくべきでしょう。その最も効率的なものが、一律感染者のひろい上げでしょうか?それとも、発症者ケーアで、医療関係者からの院内感染を防御なんでしょうか?世田谷モデルと称してアホみたいに、PCR検査を増やそうとしておりますが、そこで、今院内感染が発生しています。まず、そっちの穂が重要でしょう?そこのクラスターは、ホストの感染よりも重大になりますよ。普通のナチュラルな(洗脳されていない)人は、PCR教の奇妙さを理解できると思っております。

 平和教信者が、憲法念仏を唱えるのと同じで、護憲、護憲と唱えれば、平和がやって来ると信じている信者が、奇妙であるとしか言いようが無いのですが、彼らにとっては、平和は念じていれば、向こうからやって来ると、教えられているので、効く耳をもたないのでしょう。宗教なんで仕方ないですよね。この平和教の信者の方が、原爆教の信者にも、原発教の信者になったりします。原爆が怖いので、原発も禁止という論理です。事故による、放射能流出が怖いんだそうです。じゃあ、現在の科学は全面否定ですね。多くの医療品はγ線滅菌を使用しています。原子力利用設備です、怖いですね。禁止しましょう。X線も怖いから、CTもダメですね。原発教の信者は、それらを全面に否定して使わないでしょうね。原発の危険性も、それらの放射線利用施設も、危険度はあまり変わらない。もっと言えば、国際線の飛行機に乗った時の被ばく量は、かなり高いので、彼らは飛行機に乗って、海外に行くことも無いんでしょうね。

 こういった、宗教には、自分のエゴが入っています。自分がOKかNGを判断するのです。自分にとって都合の良いものはOK、都合の悪いものはNGとなります。基準は自分です。科学も利用します。エビデンスとして、でもね、自分に都合の良いデータは正しいのですが、不都合なデータは、間違いであると、或いは、作為的であると批判します。ニュートラルな立場にはいません。だって、宗教に頭を支配されているからです。自分が武器を持たなければ、そして、みんなに持つなと粘り強く話かければ、平和になりますという彼らの主張の根幹は、彼らがそう信じているだけで、信じれば、みんな同じ宗教に加入すると思っているところなんでしょうね。中には、そう思わない、武器を持つことで、平和が訪れるんだという主張なんかがあれば、悪魔だ、異教徒だと排除して聞く耳をもたないのでしょいう。

 最後は、原子力利用の無い社会を目指すのでしょうか?それとも、原子力があろうとなかろうと、住みやすい、安全で、効率的な社会を作るんでしょうか?答えは一つです、原子力は人間のコントロール下にあるものです。それをうまく、安全に利用する事で、人間の利益に貢献するものです。洪水があるから、川を全部失くしてしまえという発想が、正しいとは思いません。原子力も同じです。川よりも遥かに、コントロールしやすいものです。もし、それに代わるものが出来れば、勿論、変わっていって良いと思います。私は、原発有効教の信者ではありませんから。