hikarimetal’s blog

基本的に自分のためだけにメモとして書いております。

イージスアショアの問題での、マスコミの対応は変なのでは?

 面白いもので、マスコミはイージスアショアに大反対だったはずなのですが、プロセス停止に伴い、今度はミサイル防衛をどうするんだと主張し始めてています。(笑)そんな事を言っているから、敵基地攻撃能力の保有という、彼らの本国には、最も危険な政策を検討するような方向に検討が始まるようになってしまいました。彼らの本国は、嫌でしょうね。ミサイル防御システムは、なかなか費用がかかる上に、彼らの国土には全く被害が無いので、とってもいい考えだったんですが。(もちろん、活用を見直せば敵基地攻撃用に使用出来るのは出来るのですが、基地が2つしか無いので、そこを叩けば止まるのは明確ですし、元々の本数も少ない)

 ○憲○主党が支持母体の意向を無視して、検察庁法を騒いだので、公務員の定年延長法案も道連れにされてしまったと同じように、マスコミもイージスアショアで騒いだ事で、本国の意図とは違う敵基地攻撃能力の保有論が台頭するようになってしまったのは、この安倍政権のある意味したたかさなんだろうと思います。

 マスコミはの自らの本国(もちろん、日本ではありません)について不利な事について、「報道しない自由」を主張しておりますが、これって、「報道できない不自由」じゃないのかなと思ったりします。昔の言葉で言えば、彼らは「売国奴」という人達なんでしょうが、今は、彼らをリベラルと呼ぶんですよね。リベラル=日本否定と誰が定義付けたのでしょうね。(笑)リベラル=共産主義でもないし、そもそも、共産主義はある意味コンサバティブですし。(マルクス経済学は、古典経済学ですから)日本の左派がリベラルと称されるのはお笑いです。現状否定し、未来に向かうのではなく、現状を肯定し(口先で批判はするのですが)未来への改革を全て否定するのを、リベラルと呼べるのでしょうか?そもそも、日本の左翼の理想像って何なのでしょうか?原発の無い社会?沖縄に基地の無い社会?自衛隊の無いな社会?格差社会の是正って未来ではなく、現状批判ですよね。

 多きな方針を隠しているはずです。大きな方針とは、規制社会であろうと、統制社会であろうと。つまり、自由主義からの転換であろうという事なのだろうと思います。大きな政府と小さな政府という呼び方をされます。大きな政府、つまり、多くの事を国家権力の指導の元で、管理された社会であり、小さな政府は、政府が管理は最低限にして、国の関与を出来るだけ少なくするという思想に帰結します。つまり、大きな政府論は、自由社会から統制社会へ変化を意味する訳だろうと思います。ですから、言論の自由を主張する人達(これをリベラルと呼ぶのですが)の主張、例えば、レイシズムという主張での言論封鎖、つまり、ポリティカル・コレクトネスの猛威が世界にあふれております。しかし、彼らの多くは、決して、香港問題、新疆ウイグル問題、チベット問題については、声を上げないのです。それは、自分達に不都合な事は制限し統制しても良いという理念に基づいているからなのだろうと思います。

 国家という概念、国民という概念それを明確に定義出来る国はあまり無いのかもしれません。ヨーロッパでは、元々混血国家である上に、現代でも移民が多くありますので、国家と国民の定義がかなり契約的なのだろうと思います。しかし、そうで無い社会、例えば、イスラエルとアラブの問題とか、クルド問題、ウクライナ問題、チベット問題、新疆ウイグル問題については、宗教問題民族問題言語問題であり、国家と国民の定義とは異なる価値感により発生しております。この人達にとっては、欧米型の国家像は存在していないのだろうと思います。そこに、国家という定義を明確に作る事が出来るのが、理想型であるのですが、そこには、利権やら憎悪やらとかが絡みあって、ほぐす事が出来なくなっているようにも思います。

 結果的には、強大な統制国家のみが新の解決策なのかもしれません。ただ、世界最大最強の中国ですら、統制社会は運営が難しくなっております。まあ、それが、人間という自分勝手でわがままな生物の限界なのかもしれません。